カテゴリ:法務・法律問題 > 法務その他

先日の表題の最高裁決定について。内容については、見解はいろいろ分かれているが、ネットで見た中で興味深い読み方・感想を書かれていたものを備忘のためにメモ。

(おそらくオーソドックスな弁護士さんの読み方であろうという意味で、川井先生のところのエントリをメモ)
  • 嫡出/非嫡出@知財渉外にて。嫡出でないお子さんをめぐる手続き的なところが、個人的には興味深い。
  • 町村先生のコメント@matimulog. コメントの最後の部分が、「なるほど」というところ。
  • 相続税法の観点からのコメント@W175 N57。公認会計士兼LSの学生様のコメント。税法についての話は正直よくわからなかったが…orz。
ついでに、事前に出ていた現役判事の方のコメント@東大ローレビュー。

 

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以前書いたエントリの裏返しというかなんと言うか…。 相変わらずのよくわからないメモですいません。

契約交渉に限らず、交渉ごと(対外、対内問わず)をどう進めていくうえでは、相手方の置かれている制約条件を意識するのと同様に、何が相手方のモチベーションになるのか、受け入れの要因になるかは重要ではないかと思ったりする。そのうえで、こちらから提案するものが、そういうモチベーション、要因に照らして、受け入れるメリットを感じられる案ではないのであれば、交渉をまとめるのは難しいものにならざるを得ない、と思う。

加えて、こちらの案を受け取った相手の担当者が自社内を説明、説得することができるような内容になっているか、ということも考えないといけないのかなとも思ったりする。件の担当者が稟議書を起案して、それが内部承認されるようなものでなければ、結果的にスタックするだけになることを覚悟する必要があるように思う。

もちろん相手の状況についての想定には限界があるが、想定をしてみることも重要なのではないかと思う。

きわめて当たり前のことだと思いつつも、当たり前のことが常にできているとは限らないということもあり、備忘の意味でメモしておく。
 

相変わらず謎のエントリが続く今日この頃。諸般の事情で書籍の紹介とかもままならないのと、一方で仕事ネタは使いにくいとなると、感じたり考えたりしていることを無理やり?気まずくない程度に抽象化して引っ張り出してみるしか手がないというところ。

それはさておき。ビジネスのサポートをするのが、社内での法務(法務に限らないけど)の立ち位置ということもあるのだけど、サポートするからには、サポートすることが会社(勤務先)のためにならないといけないと思う。とはいえ、ホントにそうなっているのだろうかと思うことがないではない。

契約書にあれこれ親切に説明しても、右から左に聞き流されて、結局わからないと丸投げというのを繰り返す営業マンもゼロではない。「専門性」がある話はわからないから、ということで、投げられて…というのがあると、ホントにアドバイスをするべきなのか、ということがあやふやに思えてくることがある。過保護がマイナスに作用しているようにも見えることがあるわけだ。

ある程度自分で考えて、それでもわからないことは法務に質問するというのが、営業マンのあるべき姿だろうと思うし、それは、営業さんの効率の面からも正当化されるのではないかと思うのだが、その辺のさじ加減については、ベストアンサーみたいなものはなさそうなので、どうしたものかといつも考える。万能の答えがある話しではないのだろうと思うのだが…。

何だよそれ(苦笑)。

僕だけかもしれないけど、契約交渉とかで不愉快な思いをした相手の会社の製品とかサービスって、どうしても個人としては避けるようになってしまう。

仕事は仕事でやるべきことは、出来る範囲でやるのだけれど、それと個人としての感情は別なので、まあ、そういうことを思うこともある、と。

一個人として、避けられるときは避けるという程度で、業務のときや、個人使用のときでも他の選択肢がないときはやむなく、利用することになるので、有意なインパクトが生じるわけではないのだけど、せめてもの意趣返しというところ。

器の小ささが露呈する話ではあるが、まあそういうこともあるということをなんとなくメモしておく。

いつものごとくぼんやりと思うことをメモ(こればっかですいません)。具体的なことが書けない以上、こういう格好にしかならないということで…。

時宜を得た、というのが適切な表現なのかもしれないが、何か問題に気づいたからといって、直ちに対策に移るのが良いとは限らないこともある。自分には見えている問題点が、周囲には理解されにくいとか、問題は問題だけど、対策を講じるために必要な情報がそろうにはまだ時間がかかるとか、そういう事情のあるときは、しばらく時間をおいてから問題提起したほうが、費用対効果を含めて考えると最適ということもあり得る。

そういうアプローチを取るときのリスクには、当然のことながら、待っている間に問題提起をすべきベストタイミングを逃すということが含まれるので、なかなか取りにくいのだが、周囲と問題認識についてすり合わせができなければそういう結果になることもありえない話ではない。

悩ましいというしかないのだが、リソースという意味でも、権限という意味でも、自分ひとりでできることに限りがある以上はやむを得ないというところか。

例によって例のごとく謎なタイトルですいません。例によって思いつきのメモ。

対外的な交渉にしろ、対内部的なあれこれにしろ、自分が話をしている相手方が言っていることが、ぱっと見には理解しがたいことがあったりする。その他のところで論理的であるにも拘らず、特定のところでのみ首尾一貫性が破綻しているように見えたりすると疑問が残ったりする。

そういうときは、ひょっとすると、相手側の制約要因を見落としているのかもしれない、と思ったりする。相手方が一定の制約の中で動いている(企業の「中の人」であれば、普通はそうだろう。企業以外の場合でもそうだろうけど)ときに、その制約要因から行動様式が規定され、目の前に見えている行動につながっている、というところが見えていないということになっているのかもしれない。それがわかれば、その制約要因が短期的に何とかならないとなると、それを前提にこちらの対応を組み立てることができるかもしれないし、それにより膠着しているものの打開ができるかもしれない(常にできるとは限らないのはいうまでもない)。

そんなこんなを考えつつ、相手方の「次」を考えたりするわけだけど、そういう制約要因を推定するうえでは、想像力も必要だけど、その前提となる情報も重要で、情報もないのに想像しても単なる妄想でしかなくなって、あんまり有用ではないかもしれない。

もちろん、何かに縛られているのは相手だけではなく、自分だって同じはずで、それが何かを意識することも、同様に、時としてそれ以上に重要になるかもしれない。見落としている選択肢や可能性に気づくことができるかもしれないので。といっても、自分自身を縛っているものが何か、というのは自分のことだけに、難しい面もあるような気がしている…。

…というようなことをぼんやり思う今日この頃。




先日の某セミナーで、本題とはあまり関係ないところで印象に残った点をメモ。

講師の弁護士さんが言っていたのは、自分のところに相談に来るのは、何かやって(まちがったことをした、すべきことをしなかった、やるべきことのやり方を間違えたなど)失敗して問題になったケースが多く、企業の中でこういうことをやってうまく行って問題にならなかったというのは情報があまりないように思う、ということ。

特定の分野についてのコメントではあったが、ある程度は普遍性があるのかもしれない。確かに案件を外の弁護士さんに相談しても、相談した結果をきちんとフィードバックしているかというと、うまくいったケースについてはあまりしていないかもしれない…と我が身を振り返って思うのでありました。

それとは別に、ホントにgood practiceだったとしても、内容がすごく画期的なら、外部に出すのは控えるかもしれないし、そもそも企業特有の事情が作用してうまくいったというケースは、外に紹介しにくいかもしれない(うまくいった原因は見極めも難しいかもしれない)。

そんなこんなを考えると、最初のご発言については、まあ、そうだよなー、と思ったのでありました。

何だかわけがわからんですが、書けそうなことだけ、自戒もこめつつ箇条書きでメモ。いろいろストレートに書きにくいことが多いのです(白目)。
#前の別のエントリとタイトルが重なったので、エントリのタイトルを修正します。
  • 抽象化は必要だけど、過度の一般化が時に有害なことは忘れてはいけない。抽象度の上げ方にも適度さが重要。
  • 断言するときには根拠の裏取りを忘れないようにしないといけない。経験からモノをいうときは、自分の経験の射程距離というか有効範囲についての吟味は必要だろう。
  • ネットで調べて出た内容については、書き手の素性や理解度が不明だったり、書かれた時期が古かったりする可能性もあるので、その辺の見極めがつかないものは使わないほうが無難か。
  • 一定の影響力(広い意味で)を行使しうる立場になったことは自覚しにくい。その自覚とそれに伴う配慮が不十分だと、気づかないところで他人を傷つけかねない。
  • 偏見にとらわれていないかは常に反省が必要。それと健全な懐疑との区別は簡単とは思われないにしても。

選挙前ということもあり、あちこちにいろいろ見たので、目を引いたもののみまとめてメモしておく。まだ全部に目を通せたわけでもないこともあり、個々の内容についてはコメントはせず、メモのみ。
追記):「おおやにき」にもコメントがあった。
追記2):ジブリのところは、気づかなかったが「無断リンク禁止」とあったので、一応はずしておく。検索すれば出てくると思うが。

ぼうっと思ったことのメモ。例によってわかりにくくて申し訳ない。

自分が見えている範囲がすべてだと思うな、突っ込みどころがないようにみえても、それは自分に見えていないだけ。自分の見えていない部分が存在する可能性を意識しろ、というのは、ある意味法務にとっては大事なことではないのかと思っている。契約書のドラフトとかを検討するときにも(それに限った話ではないけど)、自分の想定能力の限界(それが割に近所にあるのはさておき…)は意識しないと思っている。

もちろん、そういう余地が生じないように情報収集をして、想定をめぐらすのが重要というのは理解するけど、諸々の制約の中でそれが常に実現可能な話であるかどうかというのとは別の話。ついでにいうと、事後的に問題になったことが事前に見えなかった場合、それがなぜだったのかということも、それを騒ぎ立てるかどうかは別の問題として、自分の中で意識しておく必要があるのだろうとも思う。

傍目からそう見えるかどうかはさておき、そういうことは常に頭の片隅においているつもりだし、少なくとも僕にとっては、それは必要なことだと思っている。それがどう作用しているのか定かではないが、こういうところでも、どうしても大きなことが言いにくいように思えてしまう。自分の小市民振りというか、小心さ加減に苦笑するしかないのだが…。

いくつかの事態を見ていて思ったことのメモ。

特定個人の言動に限った話ではないが、特定の誰か(人であれ企業であれ)の行動に違和感を表明するなり、駄目だしをする際に、それを提示された相手が「改善」策を取る気になるような提示の仕方をしないと、提示それ自体に反発だけになるか、単に無視されるか、で終わる可能性が高くなるような気がする。

もちろん、放置して事態が悪化するのを避ける意味で、違和感の表明なり駄目だしだけでもする意味はあるかもしれない。ダメ出しと改善策の提示を別々の人がする、というアイデアも考えられなくはない、が、人を分けると連携がうまく行くのか不明な点が残る。ともあれ、そういう提示の仕方では、単にやらないよりはまし、という以上にどこまでの意味があるかは、正直よくわからず、自己満足以上に何があるのやらという気もするし、違和感の表明と駄目だししかせずに、事態が「改善」しないと嘆くのには、傍で見ていると、自業自得という気すらしてしまう。

また、目に付いたものに、脊髄反射的に「気持ち悪い」といっても、それ以外に同様かつもっと広範なものがあるような場合だと、目に付いたものにだけ反応することに何の意味があるのかということも疑問に思えてしまう。たとえ、その脊髄反射的な反応それ自体に納得できるものがあったとしても。ただ、そういう議論はしても、見えているものが異なるので、議論にならないのが大半なのだろう。

とはいうものの、上記のようなダメ出しの仕方を、下に人がついたときに、自分もやってしまいがちなので気をつけないといけない。でも、いざ自分のことになるとそう簡単ではないわけで…。

例によってわかるようでわからない格好のメモで失礼。

契約交渉であれ、その他であれ、交渉ごとは特定の目的、使命があってやっているはずなのだが、交渉を脇から見ていて、いったい何のためにやっているのだろう?と思うことがないわけではない。 その種の疑問が生じる理由はいろいろあって、そもそも内部での調整が不十分(内部的に一枚岩でないということも含め)とか、交渉開始当初と状況が変化しているのに、変化に対応して目標とかの見直しができてない、単に人が変わって情報の引継ぎ漏れがある、とか、まあ、いろいろありうるような気がする。前にメモしたような、最適化の検討範囲がずれているということもそういう理由に含まれるだろう。

問題と考えたときには、一応の修正は試みるようにはしているのだが、言うほど簡単ではないという気がしている。情報のギャップは埋めれば何とかなりそうな気がするけど、よって立つ基本的な考え方のギャップは、それほど簡単ではないような気がしている。この辺りの予兆の察知がうまくできるようになると、軌道修正もしやすくなるはずと思いつつも、どうしたものかと都度悩むだけに終始しているのが何とも…。
 

何だかよくわからないが、いくつかメモ。
  • BLJが来ていない。既に来ているというところもあるのに。まあ、気長に待とう(謎)。
  • 抱えているいくつかの案件で進展があった一方で、あたらしいご相談もあり、いちにちばたばたした。
  • そういえば債権法改正のパブコメは締め切られた。要綱ですら、読みきれずにまともなことも何もいえなかったのは、 遺憾の限りだが、ある意味で今の能力を反映したということかもしれないと、反省。

最近この手のエントリが増えているのは、単に、書けるネタがないからです(苦笑)。

それはさておき。

時に(頻繁に、かもしれないけど)、担当している案件が自分の手に余るというか、自分だけでは対応しきれないことがある。そういうときには、うまく他人を巻き込むのがポイントなのだろう。自分だけで抱え込みすぎていて、問題が自分では収拾できなくなったときのことを考えて、適宜他人と情報を共有するというかなんと言うか。ここでいう他人は上司かもしれないし、部下かもしれないし、同僚かもしれない。他の部署の人かもしれない。能力や権限、知識、人脈の面で、自分にないものを持っている人とか、そうでなくても他の人の目からどう見えるかということも、煮詰まっているときには、助けになるはずなので、そういうのが得られるようにしておくことは重要なのではないかという気もしている。

企業で仕事をしている以上、コンプライアンス面で問題のない範囲で、トータルで自社の利益になるようにできればいいはず、という面もあるはずだし(そればかりでは、自分の存在価値に疑問がつきかねないので、万能ではないだろうが)、自分だけで抱え込んで煮詰めすぎて、時間的にも中身的にも他人様の手助けを得にくくすると、助力を仰がれた側も迷惑、ということで、その辺のバランスには気をつけないといけないと思ったりする。

現職及び過去の職場においても、その辺がうまい人というのはいるので、そういう人のやり方を念頭において、仕事が過度に煮つまらないように気をつけよう、と思う今日この頃。

 

わかったようでわからない感じにしか書けそうにないけど、メモ。

契約交渉に限らず、いろいろな交渉ごとの過程で、局面局面ごとで最善と思われる手を講じようとするのが通常だろう。ただ、個々人が視野に入っている範囲で最善っぽく思えたとしても、そこの視野に入っていないところまで考えると、そういう人まで視野に入っている立場から見ると、必ずしも最善には見えないということが時にある。放置するといい結果にならないだろうと思って、いや、その「最善」は適切ではないのではないか?、と指摘をすることもあるのだが、そもそも見えている範囲が異なると、話がかみ合わないことが多い。かみ合わせる努力をしても、基本的な立ち位置からして違っていて、そこに埋められないギャップがあるのに気づいて驚くこともある(特に日本人以外を相手にするようなケースでは)。

できるだけのことはやったという記録は残しつつ、やれることはやったが、避けられない結果だったという形にするのは、自己満足と保身を考えれば、やむをえないところではあるのだが、単なる逃げ口上になりかねないので、どうしたものかと、時に思う。

自分、素人ですから…(高倉健風)…orz。書いて落ち込むのですが、思いついたので書いておきたかったので…。
業務と関係なく、いくつかメモを。箇条書きで失礼。
  • ラテン系法律雑誌という説のあるBLJが届いていた。実は昨日の夕方に届いていた模様。某所のBLJ占いによると大吉らしい(謎)。読み終わらんので、感想は後日。
    (そうそう、イカの編集者様、おめでとうございます。m(_ _)m。)
  • 気がつくと積読の雑誌が溜まっている。普段はNBLが溜まるのだが、今回はビジネス法務が複数冊手元にあるのが異例というべきか。債権法改正ネタを読むのに時間がかかっている…。
  • そういえば概要付きも完全に中途になっている…。全部読んでなくても言える意見は言いたいところだが…。
  • 勤務先の近所にある某大型チェーン店の本屋、法律書の配本が微妙に遅くないか…と思う。



 

何だそれ、と思いつつ。前にも似たようなことを書いたような気がするが、外資に転職して改めて思うことなのでメモしておく。外資に転職する人には参考になるかもしれないし(謎)。
 
外資ということもあって、どうしても夜中にメールがあちこちから来るということもある。 海の向こうからだけとは限らず、海の向こうからそういうメールが来ることを前提にして、夜中も仕事をしている国内の人もいるから。

そういうことをしていると、ほうっておくとどうしても始終仕事のメールをチェックして、ということになりかねない。何らかの形で締め切りの迫っているときには特に。それだと精神衛生上よろしくない。

その一方で気になるのも事実なので、悩ましいが、やはりここは何らかの形で割りきりが重要ということなのだろう。 商店が営業時間を終えたらシャッターを下ろすような感じ。

とはいうものの、Blackberryとかを持っているとつい見てしまうので、実際のところは、僕にとってはそう簡単にできることではない。休日の外出のときとかにBlackberryを家において外出すると、そもそも見ることができなくなるので、そういう意味では好ましいが、この流れもBYODが導入されるとどうなることやら、という気がしている…。

例によってアレなタイトルだが、某所で数名の方とやり取りしつつ感じたことを取りとめもなくメモ。該当者の皆さん、すいません。

法務へ相談がきて、調べたけどわからないということがある。たまたま例外的な事例にあたったとか、自社のやっていることが例がないとか、そういう事態が生じる原因はいろいろと考えられるだろう。で、そういうときにどうするか。おそらく一番やってはいけないのは、一人で悩んで抱え込んでいるうちに手遅れになることと、わかってないのに、知ったかぶりして社内を誤導してしまうことなのだろうと思う。

調べてわからないなら、どういう点がわからないのか、ということはまずは部署内で明らかにして、他人の知恵を借りるのもひとつの手だろう。知恵を借りる相手は上司だけには限らない。自分で調べる際に無意識に誤った前提を置いていたせいで可能性を排除しているかもしれないので、自分以外の視点というのは有用なことがある。
(もちろん、何もせずにいきなり相談するのは論外なので、一定程度自分で検討したうえで、ということは必要だが)

そのうえで、わからないことを明らかにしつつ、解決策を考えるということも、必要だろう。たとえば、可能性が2つあって、どちらになるのかわからないということなら、両方の事態を想定して対応を考えればいいはずで、保守的に見たうえで、そういう対応を考えることができる場合もあるだろう。
その際の解決策は法律論に基づくものとは必ずしも限らない。相談をしてきた事業部サイドの事業のやり方を変えることで問題を回避するというパターンがある可能性もある。もちろん、そういう業務のアレンジを変えるような話は、ある程度話が煮詰まってからではできないわけで、だからこそ早めに事業部門に折り返してみることは重要ということになる(だからといって、何も考えずにいきなりおりかえしてよいというものでもないので、その辺が難しいのだけど)。企業としての解決策を考えるのだから、法務だけで何とかしようと思う必要はないはず、ということになるだろうか。

大したことではないのだけど、備忘の意味でメモ。

最近、いくつかの案件で親会社のそこそこ上の人に対して説明資料を作って送って、理解してもらう必要があった。やってみると、単にパワポで資料を作って送るだけではいまいちで、留意が必要かと思ったところをメモ。当たり前のことだとか言われそうだが…。
  • メールに添付する際にはカバーレター(というのか?)のメールに添付ファイルの要旨を書いておくほうが無難。まあ、要するにそもそも添付ファイルを見ないという人もいるということ。ついでにいうとURLを送ってこちらを見てくれというのも、見ない人は見ない。まあ、Blackberryとかで見ているときにはシンドイというのは理解できなくはない。相手がどこにいて、どういう通信環境下で見ているか保証の限りではないので、その点を勘案しておく必要があるということになるのだろうか。
  • パワポについても、矢印で物事の流れを説明するのであれば、矢印自体の意味を明らかにするほうが良い。というか、それができないなら、誤解を招かないようにする意味で、使わないほうが良い。矢印を使いたいなら、むしろきちんとフォローチャートを作るくらいのほうがよい。If, thenとか、条件節の文章をうまく使うとその辺はできなくはない。

なんだかわかるようでわからない感じではあるが(そういう割りに前に似たようなことを書いたかもしれないのに、それが確認できていないのが困ったところで…)、備忘の意味でメモ。

契約書のレビューにしてもなんにしても、一人でやっていると煮詰まってくることが時としてある。気分転換で解消できることもあれば、そうでないこともある。で、気分転換が功を奏していないときにどうするか、というと、他人の目で見てもらって意見をもらうというのが結構大事な気がしている。

もちろん、相手にも都合もあればスケジュールもあるので、その辺が間に合うのが前提だし、相手が検討対象について自分と同程度に知識があるとは限らないので、その辺のフォローアップも必要になってくる。その辺ができても、協力してくれる人が常にいるとも限らないが、いるときで、条件が整えば、自分ではない視点というのはやはり有用。

最近もどうにも煮詰まって困ったときに、上司の視点で意見をもらって、事態の打開を試みたことがあった。意見をもらう人のバックグラウンドからみて、どういう意見をもらえそうか考えて、そういう視点から意見をほしい、といえば、別に法務の素養がない人でも意見をもらうことだってできるかもしれないし、そういう意見でも自分の煮詰まっている状況を何とかするうえで有用なことだってあると思う。冷静な第三者の意見であることが重要、ということなのだろう。

で、問題は、そういう相手もいないときにどうするか。時間があれば、一晩置いてみるという手があるのだろう。「明日の自分」は「昨日の自分」とは異なるというわけで。疲れているときに、一晩ゆっくり寝て、回復してから見直してみるのも悪くない手だと思う。「明日の自分」は「昨日の自分」とは異なるといっても、程度問題なので、限界はあるのだが…。

なんとなくこの曲が脳裏をよぎったので...

こちらのエントリで、「法務が単体で業務をしているわけではなく、案件に応じて適宜それらの部署との連携が必要なことは意識しておくべきだと思う」と書いて、その場で思いついた例は挙げたのだが、もうちょっと考えてみたので、メモしておく。
(こういう話を別のところでしたら、はっしーさんから、そこまで書いていたら本が出来上がらない、という至極まっとうなツッコミをいただいてしまった。確かにそうかもしれない。もっとも、かの本は良い本だと思うので、第二版にする際にこういう感じの内容の記載を追加することを検討していただけるとよいのではないかと思います>某所)


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ネット上のあれこれを見ていて思ったことをメモ。エアリプで失礼。
  • 法務は社内で嫌われてナンボというと語弊があるが、少なくとも嫌われることを厭わないことは必要かなと思う。もちろん、ぱっと見に事業部門の人たちの動きを、短期的には止める結果になるとしても、言うべきは言わないといけないし、その際に、無駄に嫌われたりしないよう、説明は尽くさないといけないが(顧客満足という面もあるだろうから)、嫌われないこと自体は目的にすべきではないと思う。
  • ある意味当たり前かもしれないけど、企業の法務部のクライアント(という言い方が適切かどうかはさておき)は、その企業全体のはずで、特定の事業部門は相談に来ても、クライアントの一部、でしかないと思う。その一部の利害と企業全体の利害が一致するという前提があるから、その一部に対して尽くすことが正当化される、ということになるのではないかと思う(もっとも、事業部門内の法務担当、となると、話が違うことがありうるかもしれないのだが...)。
  • 何かができるようになることは、別の何かができなくなることと裏腹という気がする。その別の何かを自分で認識できるかどうかはまた別の問題だけど。
  • 資格を取るということは、確かに何かができるようになることとではあるけれども、その裏で何かできなくなっていることがあるのではないか、ということは疑ってみても良いのではないかと思う。また、自分がこれができる、できないというのと、他人から見て、これは頼める、頼めないというのとは一致するとは限らない。さらに、自分ができると思っていることが、他人から見たときに、できてほしいこと一致しないかもしれない。そういうことを考えると、有資格者が常に無資格者より優れているとは限らない、という議論も、議論の立て方というか、物差しのありようによっては、成り立ちうる議論だと思う。別に特定の資格試験に限った話ではないけれども。

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