February 17, 2019
顔真卿展
先日,特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を見に行ってきた。こういう分野にはまったくと言ってよいほど興味はなかった。しかし,この分野に明るく,信頼できるTL上の某氏が,見に行くことを推奨していたこともあり,興味が湧いたので行ってみた次第。きっかけがないと行かない分野の展覧会でもあるのは確かだし。
今回の目玉は,祭姪文稿なのだけど,それだけを見るのに大行列で,僕は一時間近く並ぶ羽目になった。中国では特別なものと認識されているとのことで,それを受けてか,春節の時期ということもあってか,会場内では矢鱈に中国語と思しき外国語を聞いた。
並んだ挙げ句,見ることは出来たものの,立ち止まってゆっくり見ることはできなかった。とはいうものの,端から見ていくと,感情の高ぶりが筆致に出ている感じが素人目にも明らかだったり,前後に紙が足され,そこに後世の持ち主などの賛辞が書かれていたり,歴代の皇帝の印があちこちに押されているあたりも,この書が如何に後世愛されてきたかを示していて,なるほど,と思ったのであった。
(余計なことだが,今風に考えると,印とかがふぁぼで,前後に足された紙とかがtogetterだったり,まとめサイトだと考えると,昔から人のやることは変わらんのだな,と変な納得をしたのであった。
なお,祭姪文稿について,分かりやすい紹介だなと思ったのはこちら。)
それ以外の展示も,それ相応に興味深いもののはずなのだが,生憎こちらが文字通りの素人なので,まったくわからなかった。一番最初の隷書から草書・行書・楷書が生まれるまでの展示とかは興味深かったけれど,それ以外はそもそも祭姪文稿目当ての人が多すぎ(こちらもその一人だから文句は言えない),展示を見るのも一苦労だったこともある。堪能する上で最低限必要な知識すら欠いていた状態だから,仕方がないのだろう。
最後にもう一枚。内部はこの一点以外は撮影禁止だったが,例外的に撮影可能だったので撮ったもの。脇の人間の大きさに比しても巨大な書であることだけはよく分かるはず。
今回の目玉は,祭姪文稿なのだけど,それだけを見るのに大行列で,僕は一時間近く並ぶ羽目になった。中国では特別なものと認識されているとのことで,それを受けてか,春節の時期ということもあってか,会場内では矢鱈に中国語と思しき外国語を聞いた。
並んだ挙げ句,見ることは出来たものの,立ち止まってゆっくり見ることはできなかった。とはいうものの,端から見ていくと,感情の高ぶりが筆致に出ている感じが素人目にも明らかだったり,前後に紙が足され,そこに後世の持ち主などの賛辞が書かれていたり,歴代の皇帝の印があちこちに押されているあたりも,この書が如何に後世愛されてきたかを示していて,なるほど,と思ったのであった。
(余計なことだが,今風に考えると,印とかがふぁぼで,前後に足された紙とかがtogetterだったり,まとめサイトだと考えると,昔から人のやることは変わらんのだな,と変な納得をしたのであった。
なお,祭姪文稿について,分かりやすい紹介だなと思ったのはこちら。)
それ以外の展示も,それ相応に興味深いもののはずなのだが,生憎こちらが文字通りの素人なので,まったくわからなかった。一番最初の隷書から草書・行書・楷書が生まれるまでの展示とかは興味深かったけれど,それ以外はそもそも祭姪文稿目当ての人が多すぎ(こちらもその一人だから文句は言えない),展示を見るのも一苦労だったこともある。堪能する上で最低限必要な知識すら欠いていた状態だから,仕方がないのだろう。
最後にもう一枚。内部はこの一点以外は撮影禁止だったが,例外的に撮影可能だったので撮ったもの。脇の人間の大きさに比しても巨大な書であることだけはよく分かるはず。
dtk1970 at 08:30│Comments(0)│読む聴く見る