BUSINESS LAW JOURNAL (ビジネスロー・ジャーナル) 2015年 2月号 [雑誌]最近読んだ雑誌から(2014年12月末)

December 26, 2014

駆け抜けるというか、通り過ぎた、の記

何のことやら(苦笑)。

senri4000姐さんのエントリ、及び、それを受けたcoquelicotlogさんのこちらのエントリを見て、自分も何か30代について振り返ってみるか、と思ったのでありました。転職人生のさなかの40代おっさんの30代の振り返りに用事があるのかないのかは不明ですが、どなたかのの参考になるといいなと。

以前関連する点についていくつかエントリを書いたけど、それとはちょっと異なる視点というかなんというか。





色々思うところがあって、初職の会社に大卒で入ったものの、最初は大阪の支店勤務で、その時点というか、そもそも内定式の時点で、業務の内容自体には興味と関心はあるものの、独特なノリについてゆけずに、「どこかで辞めるんだろうな」とぼんやりと思った。だけど、「じゃあ次どうするのか」がないまま、当初の予定通り4.5年で東京の本社勤務に戻ることになって、戻って入ったのが本社の法務、というのが「法務部」なるところに入った最初だった。

法学部卒でも政治系メインで、そもそも勉強自体あまりしなかったので、周囲との法律知識の落差に愕然としつつも、そこで司法試験とかにはいかず(それは何か違う、と思っていたのと、そもそも追いつけないような気がした)、法務に直結する勉強は行政書士とかビジ法2級どまりで、あとは比較優位ということで英語の勉強を始めた…というあたりが20代終わりから30代のスタート近辺のこと。英語については、部内の周囲よりはもともとできたこともあり、英語周りの案件に拘わらせてもらうようになったりしたこともあった。

本社の法務には4年半ほどいて、法務の基礎を学んだのは確かなのだけど、当時の部長からの覚えがめでたくなく(有体にいえば、出来は良くなかった)、かつ、社内のお家事情(面白すぎるので略)で、海外法務のチームが海外部隊(独自の「村」化していた)にできて、そこがLLMに人を出す際の受け皿にもなっていて、そこに留学含みで異動になったのが2003年だったかと思う。この辺はいろんな要素が作用していたようで、覚えている範囲では、次のようなあたり。
  • 海外留学に興味があるという話をしたことがあった。かの会社では海外は当時は日陰だったこともあり、海外留学で海外部隊に行ってもいいことはない、という雰囲気があったように僕自身は感じていた。
  • 次に書く伝手で、海外法務のチームとの英文契約の勉強会に入れてもらっていた
  • 誰かLLMに行くのはいないかというときに、新入社員の時の指導係だった先輩が同様に東京の海外法務のチームにいて(彼は僕より2年前にLLMに行った)、彼が僕を候補者に挙げたこと。

かの会社では当時は東京とシンガポールで海外法務を分担していて、東京側で法令調査(をする必要があった)とか、紛争対応のお手伝いとか、海外案件の契約審査とかに従事するようになり、2年そこにいたうちの後ろの1年は留学準備ということになった。ちょうどそのころからblogを始めたわけだ。

で、ここから後はblogにも記載が一部あることになる。留学準備から始まったわけだし。なんのかんの言って、ここにいるときから、英語についてビジネスレベルで常用するようになった。今から思うと当初はアレだったが、上司とかが耐えてくれたことに今更ながら感謝。

東京の海外法務のチームに2年いて、1年LLMに行ったわけだけど、その後については、留学に行く前からシンガポールの海外法務のチームに行くことが想定されていた。実際赴任してみると、海外部隊の一員なので、法務以外の仕事もする可能性があるというのと、別に海外暮らしに興味があるわけでもないのと、他にもいろいろあって(気まずいので略)、シンガポールに赴任してしばらくして転職をすると決意するのであった。

この時点ですでに35過ぎていたのと、この時点で法務も10年近くやっていたので、今更ほかの職種にも行けないし、まあ、USのLLMもあれば、何とかなるかなと思ってやってみたら、転職はできた。

で、2社目に入ったのが37になる直前。2社目は純然たるメーカー(素材)で、1社目では業界特有の話に基づく法務という色が強かったのに比べると、より汎用性の高い法務を学ぶことができたような気がする。米国での訴訟にも関与したし、その過程でNYbarにも合格できた(実際訴訟関係の打合せに行ったついでに受験した。旅費は出張費だったわけだ)。
また、英語のうち、特に話をする能力については、外資系の事務所からの派遣のアメリカ人弁護士がいて、彼は日本語で事業部門とは話ができるくらい日本語が堪能だが、法的な議論については別(僕らに対する訓練の意味合いもあった)ということで、僕は彼とほぼ毎日英語で法律論についての話をすることになり、英会話についての能力という意味ではここでの経験が一番進歩につながったと思う。

さて、まあ、学ぶことの多かった2社目ではあるが、これまたいろいろあって(ここも気まずいので略)、移ることを考えることになった。この辺の経緯はすでに書いたけど、諸々の末、友人がいる会社に移ることになった。それが30代の最後。40歳を迎えたときには3社目にいることになった。

と、書いてみると、結果論として、留学もしたけど、主体性はあまりないな。流されている感じだ。走り抜けるというより、30代が勝手に通り過ぎて行ったというのが関の山。
 
やはりこういうのはマネしてはイカンというところなんだろう。 

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