September 23, 2006
秋の気配
シンガポールに秋の気配なぞあるわけない。だからと言ってオフコースネタでもない。景気のいい話ではないが…
先日、高校の同期のHからメールが来た。Hからメールが来るのは珍しいと思ったら、同じ学年だったNの訃報と葬儀への出欠を確認するものだった。HはNと同じ部活でその部の我々の代の部長だった。僕はその部の部員ではなかったものの部室とかに出入りしていたから、Hから連絡を受けても別に不思議ではない。高校卒業後もNと付き合いがそれなりに深かったHは突然の出来事に戸惑いを隠せないようで、携帯から簡潔に用件を伝えるだけのメールからもその様子が伝わってきた。
出かける直前にメールチェックをしたときに入ったメールだったので、咄嗟に、国外に居て葬儀に出るのは難しいこととそれから香典の手配を頼む旨だけ返信した。
出かけている間、、出欠と香典の手配しか咄嗟に思いつかないのは、自分がひどい人間のような気がした。とはいえ、それしか思いつかなかったのも事実なのだが。
Nと最後に会ったのは、数年前に亡くなったFの墓参のときだった(そういえばFの訃報もそのクラブの部長だったHから連絡を受けた)。結婚する人間がある程度片付いて、学生時代の仲間と会う機会が減ったと思ったら、葬式で会うようになるとは。人生の夏が終わり、秋に向かっていると感じざるを得ない。
Nとは、高校にいた時はそれほど親しかったわけではなかった。N自身が途中で体調を崩して1年休学し、卒業は僕らよりも1年遅れになり、接点に乏しかったような気がする。その一方で、大学に入ってから、顔を合わせる機会もあったため、ここ数年は、年に数回思い出したようにメールのやり取りをしていた。高校卒業後も長い間Nは身体の不調と戦っていた。時折その様子が気になってメールを書いたこともあった。最後に会ったときもNは体調が完全ではなかった。
Fとは高校に居たときからそれなりに付き合いがあり、時折会って話をしたりしていた。口下手で繊細な彼は自分の体調と闘いつつも望む道を目指して苦労していたようだった。亡くなる直前に会ったときも転職の面談を控えナイーブになったいたようにも見えた。
門外漢の僕がこう言ってよいのか分からないが、Nは文学の面で、Fは学問の面で秀でた能力を持っていた。それぞれに身体に問題を抱えつつも自分なりに努力をしていた。然しながら、道半ばで倒れてしまった。
残された僕らが彼らのために何か出来るとも思えない。とりあえず出来るのは、それぞれの病から解放された彼らの眠りが安からんことを祈るだけだ。
何か書き留めておこうと思ったらこの程度のことしか書けなかった。