債権法改正は、雑誌の記事を読む程度だし、そもそも改正が本当に要るのだろうか、という思いはあるのだけど、とはいえ、さすがにもうちょっと全体像を抑えておいたほうがいいような気がしたこともあり、内田参与の本を読んでみた。


この本については、先般のBLJのブックガイドでのAさんとBさんのご発言が印象的。

…中間試案の中には、実務サイドからは受け入れにくい改正提案も多いため、今回の改正の旗振り役が書かれた本を薦めるのは忸怩たる思いもあるのですが、そ れでも内田貴「民法改正のいま―中間試案ガイド」が非常にわかりやすい本であるのは間違いありません。これまでに書かれたものもそうでしたが、内田法務省 参与はご自分の理論を最も合理的であるかの如く、自然な形で説明するのが非常にお上手な方だと思います(笑)。…
…まずはこの本を読めば、中間試案のかなりの部分を確実に押さえることができます。
 とはいえ、、もちろん本書のとおりに改正されるわけではあり ません。例えば、債権譲渡の対抗要件は登記に一本化すべきというのが内田参与の持論ですが、中間試案パブコメ後に開始された第3ステージの議論では論点か らほぼ落ちています。内田参与がもともと考えていた学説オリエンテッドな世界から、学者、法務省、弁護士、企業法務の人々の間でのパワーバランスの世界に 変わっているということであり、理念論や原則論の時代は終わったということです。

(そういえば、Aさんの上記ご発言との関係では、たまたま見た民法3に「優れた解釈論とは、解釈者が「我思う」という自節を展開することではないということである」という記載があり、なるほど、だから自説を通説のように騙るもとい語るわけですか、と勝手に納得した次第)

以下、読みながら思ったことを書き連ねてみる。過去に書いたことの繰り返しもあるが、ご容赦あれ。

  • 個人的には、当初から著者の方が、グローバル化への対応を打ち出している点に違和感を覚えている。国をまたぐような取引において日本法の適用ができるようにするとか、アジア共通法策定の過程に存在感を出すという目的に大義が仮にあったとしても、それを達成するうえで、民法のしかも一部だけを弄くり回したところで意味がどれほどあるのかというと、個人的な感覚では、民法だけで取引、特に国をまたぐ取引についての問題が解決することはむしろまれと思われることから、実効性がどこまであるのかはきわめて疑問に思う。もちろん、ここを手始めに、他の部分も手直しして、というのであれば、そういう方法論もありうると思うが、そのためには、法令の内容に手をつけることも重要であるものの、法令それ自体について、日本語以外の言語(少なくとも英語)での情報をタイムリーに、かつ、量においても、今よりももっと多く出さなければならないだろう。しかしながら、改正作業が始まってから今に至るまでにその種のプランが出てきたという話は聞いたことがなく、それを考えると、単に口実に過ぎないのではないか、と思いたくなる。口当たりの良さそうなことを前面にだして、其の実実効性に欠くというのは、問題があるように思われる。
  • それに、仮に、民法以外の法令も整備されて、情報が英語でタイムリーに出たとしても、そういう情報に基づき、外国人の法律家が日本法の解釈はできるようになるか、というと、個人的にアメリカ人しか知らないが、知っている範囲のアメリカ人lawyerを見ている限りでの印象論でしかないけれども、そういうことになるとは思いにくい。基本的な考え方が異なるというところは埋めきれず、日本法を解釈している振りをしつつ、結局自分にとって一番理解している法律(アメリカ人なら、アメリカ法)ひ引きづられた解釈になるのではなかろうかと思う。日本法ベースの議論でOKと思っていて、そういう引きづられかたをした結論が出ることのリスクがあると思うし、そんなリスクを犯すくらいだったら、無理せずNY州法なりCA州法なりを準拠法として、十分な体制で戦ったほうが予測可能性は高いと思う(そういうことを考え始めると、準拠法と紛争処理手段はセットで考えないといけないということになるのだろう。その辺を指摘する企業担当者の方もおられる。たとえばBLJの2014年3月号の座談会でのBさんのご発言とか)。そんなこんなを考えると、外国の法律というだけで蕁麻疹が出そうな人々を甘言でだまくらかすようなまねをしてるようにもみえてしまって、違和感というか拒否反応を禁じえないのである。
  • あと、学者の検討委員会について、他人事みたいに書いてるけど、ご自身が旗振り役の一人だったことを言及していない(ように見える)のは誠実な対応ではないと思う。
  • 某先生が書かれていたように裁判実務以外の実務への目配りも不足している印象。訴訟はある種の病理現象で、その手前の段階の紛争処理の実務や、それ以前の個々の当事者の振る舞いを規定している行為規範としての条文の機能の仕方に目配りができていないのではないかという印象。裁判実務という言葉はそこそこの頻度で出てくるけれど、それ以外の実務についての言及がないので、そういう印象になる。