素敵なお茶を?最近読んだ雑誌から(2013年10月半ば)

October 17, 2013

まあ、その…


とりあえずBGMはこちらで…



まあ、そういう気分ということで…。







某記事などを見て、改めて思ったのでメモ。前にも似たようなことがあるかもしれないけど。


どういうことであれ、過去から営々と続いてきた道具には、少なくとも過去のどこかの時点では、そういう道具を使ったことについて、一定の理由があったように思われる。特定の課題に対する対応としてその道具が使われたということになっていたのではないかと思う。

もちろん、それが現時点でもその道具を使うことが有効かどうか、というのとは議論が別で、そちらについては都度検証されるべきということは間違いない。当該道具について、特定の事情の下では、既に時代遅れだったり、対応として過剰だったりすることもあるわけだから、検証が必要なのは間違いなかろう。

それと、道具それ自体と、それが本来の用途に照らして正しく使われたかどうかは別だろうとも思う。道具の本来の用途から外れた使われ方が広まったとして、それが問題なのと、その道具自体に問題があるのとは、問題としては一応別のはず。

その辺りを一切顧慮せずに、一番目につく道具の使われ方が劣悪だから、道具自体使うのをやめてしまえ、とか、そういう口当たり、耳障りの良いことだけを言うのは、違和感を覚えるのである。それが特に「専門家」の口から「素人」に向けて出されたときには、「素人」の理解を誤導する可能性があったり、その他の同種の「専門家」の行動に対する見方を歪める可能性もあるのではないかと思うし、その内実はどうであれ、そういう風に見えてしまう物言いを見るだけでも、そういう不安を感じてしまう。

当初の課題に対して、同様の道具を使う必要はないのか、という検証を無視するのは、同種の課題が生じた際に対応に不備を生じさせる可能性があると思う。結果的に歴史に学ばないという結果になるだけではないかと懸念するのである。


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dtk1970 at 20:01│Comments(0)転職/仕事 

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