「スタートライン」シリーズ(債権法・民法総則)などにより民法の初学者向けの本の著者としても、また、専門家向けには債権譲渡に関する研究で知られる(らしい)池田教授の民法入門。もっとも、単なる民法入門ではなく、著者が本書に込めた意図は次のようなものとのこと。確かにそういう内容になっていると思う。
一般市民の目線に立って、民法という法律の輪郭をとらえ、それを歴史と市民文化の発展のプロセスのなかで理解しながら、その面白さを発見し、さらに現代の日本民法の持つ問題を共に考えようとするものである
前半部分も身近な事例を使って民法の輪郭を上手く描写しているという感じがするが、一定の知識のある方々にとっての読みどころは、寧ろ、後ろの方にある今回の「債権法改正」に関する著者からの問題提起ではないかと思う。

個人的には、感じていた違和感(既にネタにしたかもしれないが…)のうちの幾つかを的確な表現で言い表してくれていると感じるところが多かった。

今回の改正の理由の一つとされているらしい、「国際化」への対応との関係では、
けれども、国際契約の現場にいる実務家の意見を集約すると、どうもこの議論事態がいささか筋が違うようである。第一に、取引の現場では、契約交渉にあたる当事者の力関係で準拠法が決定される。したがって、日本が仮にひじょうに進んだ債権法を制定しても、それでも日本民法が国際契約の準拠法として多く採用されるとは考えられない、というのである。(p225)
正直そう思うだけではなく、この点については、既に「勝負あった」と思ってて、今更挽回可能とは思っていない(僕自身がNYBarを持っているがゆえのバイアスがかかっている可能性は否定しないが…それを抜きにしてもそう思う)。
この意見は、日本のルールが国際取引、ことにアジア諸国での取引の標準ルールとなれば、日本の企業にとっていろいろと有利である、ということを念頭に置いているもののようである。けれどもこの意見に対しては、まず、あなたはそういう意図で一国の民法典を作り直そうとするのですか、そもそもあなたの考える民法典とは、そういう、国際取引を律することが主である「国際取引法」なのですか、という疑問を提示したい。 そして、その意味での国際競争を、民法改正の領域でおこなおうとすることが正しいのか、ということもかんがえていただきたい。国際競争力というのであれば、それよりも、現在の日本の取引法関係の全法律を外国語に翻訳したデータベースを作るなど、日本法を世界に認識させる努力をすることや、今後の国際取引関係の条約作りに積極的に関与し、それらにおいて国際的リーダーシップを取れる人的・資金的体制作りをするほうが、ずっと重要なのではないかという気がするのである。(p226)
何のための国際化か、それによって恩恵を受けるべき人は誰なのか、という観点を見失ってはならない。(p231)
法令の英訳もタイムリーに公開されていないし(施行までに時間がある場合は、施行と同日に英訳もできているべきだろう)、そもそも法令でもカバーされていないものもあるし、ついでにいうと法令というからには政省令のレベルまで公開されていないと、個別の具体的状況の中でどういう適用のされ方をするのか、予測可能性が立たないので、意味が無いのだが、その点も今のところ不十分なように思う(実務で某法律の英訳はあっても、その下の政省令の英訳がなくて困ったこともある)。少なくとも債権法改正の旗印に国際化への対応を掲げるなら、このあたりの手当の仕方についての今後の見通しくらいは示すべきだという気がしている。単に口実に使うだけ使って、後は知らないという態度を法務省が取るのは正当なこととは言えまい。


この他の点についても、なるほど、と思ったところばかりで、以下、引用だけしておくが、ともかく、今度の債権法改正についてのパブリックコメントを前にして、基本的なところを大づかみで抑えるには、良い本なのではないかと、根拠無く思っている次第。

議事録で明らかになっているように、一部の学者からの斬新なあるいはかなり学理的な提案に対して、弁護士や実務家の委員による実際の取引実務の観点からの疑問がいろいろと投げかけられるという、本来は審議会以前の学会や研究会で行われるべきと思われる議論(ないし意見交換)がくりひろげられているようなところもある。(p179)
政府が何を考えて民法をどうしようとしているのか、を市民が知る必要があるのももちろんなのだが、それ以前に、それぞれの市民が、この社会の基本的な構成原理といわれる民法が、自分たちをどう扱い、自分たちに何をもとめているものなのかを正しく理解することが先決だろう。正直のところ、今まで何も民法についての啓蒙活動をしてこないでおいて、「市民にわかりやすい民法にする」とはどういう感覚だ、という市民の声も聞こえてきそうである。(p181)
(dtk注:債務不履行の帰責事由について)これは、今回の審議会部会ではたいへん大きな議論として扱われているのだが、そもそもが学理的な理由からの改正論であって、現行規定のままで明らかな不都合があるわけではない(弁護士会などは、こういう、現在改正すべき問題点が明らかにあるものではない部分を改変するという提案に対して「立法事実がない」という言い方で批判をする。たしかにこの問題はさしたる立法事実が認められないものである)。(p186-7)
日本語は難しい。ことほどさように、そもそも国民にわかりやすい民法にする、というのは、じつは簡単なことではない。「帰責事由」のままがよいのか、「引き受けていなかった事由」を使う方がいいのか。本当に国民にわかりやすい民法をめざすのなら、ここから、法学者が集まって議論するよりも、中学や高校の国語の先生を集めて議論したほうがいいのではないかとさえ思うところである。(p190)
市民にとっては、過失責任主義での説明が不適切かどうかなどということは、まったく関心のないところであろう。だからこそ、市民のレベルに降りてきて、市民が納得する「やさしい」理由を提示してくれなければ困るのである。さらに言えば、法改正のための審議会の仕事は、どういう規定を作ったら、どういう紛争が解決されるのか、を検討することであろう。規定の「説明の仕方」について延々と論じるのは(もちろん説明のつかない規定を作ってしまっては困るが)、学会等でゆっくりと議論すればよいことであって、立法作業としてはいささかピントがずれているように思う。(p191)
判例というものは、そもそも、個別の紛争の解決のために裁判所が考えだしたルールである。だから、その普遍性とか、応用範囲(専門家は「射程距離」という言い方もする)をしっかり見極めなければならない。(p202)
一度条文に書いてしまうと、ルールとして硬直化することもある(また、今後の類例に使えるのか使えないのか、規定の書きぶりによっても異なってこよう)。だとしたら、そういう一部にしか使えないルールは、判例法理に任せておいて(あるいは特別法で規定を作って)、民法典の本文には書かないほうがかえって柔軟で適切なのではないか、という意見も出てくるところなのである。(p203-4)
(dtk注:消費者契約法について)もっとも、取り込み推進論者には、いろいろと例外規定をつけますからそんな心配はいりませんよ、とおっしゃる向きもあろうが、そんなにいろいろ例外規定をつける必要があるものだったら、そもそもなぜ民法に取り込むのですか、そのまま特別法にしておくべきなのではないですか、と質問したい。少なくとも、法理論の観点から法体系を再構築する、などという議論は、学者の自己満足にすぎないというべきであろう。(p205-6)
民法ことに債権法を考えるについては、人びとの経済行動に対する十分な考察が不可欠なのである。(p218)